happy365day’s diary

勉強用のメモ、読書メモなど、仕事や勉強に関する記録を残すためのものです。

読書メモ 『教えることの復権』ーその③

『教えることの復権

 

印象に残った言葉:


P116

読解力のテストなどに問題を出して、あいうえおと言うような選択肢を作るとき正解以外の一つ一つがどういう読解の病気があるかと言うことを示していかなければ診断にならない。でも世の中で行われているテストを見るとなんとなく選択肢が並んでいるしか私には思えないんです。試験後に良い解説をつけることが大事。

⇒テスト作成時に深く考えずに、選択肢を作っている自分がいるかも?と内省しましました。

先生のおっしゃる通り、解説することは本当に大事です。疑問に思っていることや、分からなかったところをしっかり解決せずに次に進むことは学生にとっては相当な精神的な負荷になると思いました。

大村にとって教師の仕事の範囲は非常に明確である。教師にとって1番の責任は教えることにある。教えることにこそ教師は責任を持つと言う見方は当たり前のように見えるが近年の異常なまでに多様な期待を背負わされている教師像と照らし合わせた時に重要な意味を持ってくる。


大村がいう教える教師とはまずは教科の指導に限った役割である。少なくとも学校で最も多くの時間が割かれている授業と言う活動においてこそ、教師の専門性が問われるはずであり、そこにこそ教師の責任があると大村は考えている。


p182
教える目標と手段としての学習目活動との関係をはっきりと見通せないために教師は教えなくなる。そこには次の2つのタイプの教えない教師がいる。

1つ目は、生徒の自主性に任せることが自ら学び、自ら考える教育になるとみなす教師であり、

2つ目は、知識の伝達に終始することで教えたことになると思っている教師である。

これは、いずれも教育の目標と手段と結びつけることができない点で共通する。


p184
子供自身による気づきや学びが重視されたことの反動で教師たちが積極的に教えようとすることを躊躇するようになったのである。


p187
意欲や関心さえ高まれば後は自然に子供が主体的に学んでいくはずだと言う前提が強すぎるからだろうか。授業の時間配分が導入ばかりにかかってしまい、肝心のところで時間切れとなるケースがある。その結果学習の定着や目標達成にまで目が向かなくなるのである。

p188
これまでの教育からの転換を急ぐあまり、教えることと教え込みを混同し、教師たちに教えることを躊躇させるような空気を作り出した。

p192
教師は正解や知識を知っているだけでは全く不十分なのであって、ときには生徒の前で明確に(わからなかったことを、どうして?どうにかこうにか考えて、その結果わかるようになること)デモンストレーションをそれこそ身をもって示し追体験させてやらなければならない。